しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

治らないことを周知したい

暇なので読書が進むが、それもいずれ飽きるとか、仕事とコミュニケーション能力がどんどん低下しているのでは、という焦りもある。

 

「治らない」時代の医療者心得帳/春日武彦

私はよく「病院来て治る病気なんて感染症の一部くらいでしょ、それも自分で治るのをちょっと手伝うだけで、血圧も糖尿も治してない」なんて事を言う(内科疾患については。外科は治してるからすごいね(大抵切り取ってるだけだけど))。患者には通じてないかもしれないなぁ。そもそもこういう認識を持っている患者は、とても少ない。文字通りに治ると思って来ている。だがこちらは治ると思っていない、その認識の乖離。

物書き精神科医の研修医向け本を読んだ。こんな事言われたらなんて答える?っていうのは明快ではあるが、10年以上医者やってれば誰でも自分なりの答えが出来ているだろう。そしてその回答は、本書とはちょっと異なるかもしれない。同意したのは

1.回り道はマイナスではない
著者は産婦人科から精神科へ転科したが全く気おくれはなかったとのことで、そうかもしれないけど、精神科医の中には、他科の経験が見立ての邪魔するっていう人もいる。でもそんな意見は無視していいだろう。自分の経験上、精神科医は玉石混交で、性格が向いてれば転科でも十分やってける余地がある(と思う)。医者は回り道してる方が後々、それによって得られた人間の厚みみたいなものが生かせると思う、特に精神科は。
(引用)わたしぐらいの年齢になってきますと、かつてなにごとも最短距離で駆け抜けたり、うまく他人を出し抜いて巧みに立ち回ったり、ある種のスター性を備えていたような人々の顛末を目にすることができるようになります。その結果思うことは、やはり「美味しい思いをしたまま逃げ切れるもんじゃないさ」という実感ですね。たまには不幸になって当然の奴が栄えていたりするけれど、じっくり観察してみると、たいがいはどこか言い訳めいた人生を送っていて、そんな自己嫌悪を払拭すべく派手に立ち回るののやはり黒い影が忍び寄るのを自覚せずにはいられないといった寂しいトーンを感じますね。ザマミロです。回り道をする者に幸あれ!(引用終)
このあたりは中島義道を3倍くらいマイルドにしたみたいな楽しさ。

2.わたしが精神科に関心を抱く原因のひとつは、「過去のあの時点において、ひょっとしたら俺は発病していたかもしれない」といったリアルな恐怖
精神科医で自分に精神疾患のケがかけらも無い人っているだろうか。自分もそういう傾向があるので、精神科に興味がある。とはいえ現在の内科で後悔はないけど、それで内科にすごく向いてるかというと、当直も研究も大病院も開業もやる気ないので、それほど向いてないのかも。

3.やっぱり子どもをもつべきでない人が子どもをもつと、ろくなことにならない
こういう事をはっきり書くのは実に好感が持てる。でもまぁ、ダメ人間はダメなりに子供を持ってテキトーに育ててダメ人間を再生産する、そういうノイズも含めて世界かなと思う。

現代はニュースが浸透しているせいか、一般人は医学を過大評価している。期待しすぎ。お互いできる範囲で、ある程度歩み寄って妥協点を探すけど全員100%満足は無理だよね、っていう良性の諦めをもってないと医療はキツいだろう。