しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

原因がわかって安心しました

よくあるのは、慢性の手足腰の痛みやしびれで受診する老人。原因はよくわからぬが(本気なら神経内科か整形外科へ行ってくれ)、まぁ大抵は脊柱管狭窄か末梢神経障害とか、そんなもんだろう。一応お薬手帳見せて>「忘れた」「白い丸い薬と、、、」>もういいです。と流すヤブ医者だが、ともかく対症療法しかない、それだけはわかる。が、どうも患者は「一発で治る注射か飲み薬」を期待しているのである。そんなものはない。しかし言ってもわからない、というかそんな回答は期待してない、というのがありありとわかる。加齢性変化ですね(訳:歳のせいだから諦めろ)と言うと、失礼な、これまでずっと健康だったからそんなワケ無い、使えない医者め、という目をする。

まぁここまでにレントゲンくらいはやってるのだが、それで納得してくれないとMRIだの、他科コンサルトや伝速をやって、ようやくやっぱり上記診断に至るのだが、そうすると患者は晴れ晴れした顔でタイトルの言葉を発するのである。俺の診察よりも、検査(を受けたこと)を信頼する。
こちらは結論(治療≒薬)を出して片付けたいのだが、人間は原因が気になっちゃう生き物なのである。それは人間という生物の性質だから仕方ない。そうやってこだわったから科学が発展したのだろう。でもこの性質には副作用もあって、因果関係がわからないと安心できない・嘘でも無理やり納得したくなってしまう。そうすると、寒いから、ストレスで、疲れたから、何かを食べたから、転んだからXX病になった、という自説に太鼓判を押して欲しくて仕方ない。でも私はそんな理屈を了承してあげない。医学的というか科学的にはそんな因果関係は全く考えられません、とか言って、せっかく腑に落ちようというところに水を差してしまう。
特効薬はないけれども、少しは症状を緩和する薬を出しましょう、と言うと「薬はいりません」という。症状自制内である。何だよ、期待しているのは完璧な治療か、もしくは「原因に納得」であって、つまり心さえ満たせばいいんだ。「病気を診ずして病人を診よ」っていうのは慈恵だけれども(私は落ちた)、納得させるために無駄な検査や診療依頼したりウソ理論に同意したり効かない薬を出すっていうのは、医学と保険医療に基づいた適切な医療の提供を是とする自分としてはなるべく避けたい。あと自分にできるのはトーク力とカリスマ性を鍛え、つまり患者をこちらの言った通りに納得する”信者”にしちゃうことなんだが、そういう事もやっぱりしたくないんだな。患者の笑顔より効率的医療の供給に満足する私はどうだろう。それは自己満足だ。そういう訳で私は患者受けがよくない。よって開業には向かない。