しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

大学病院の先生は冷たい?

大学病院→市中基幹病院→小規模医療機関と職場を移ってゆくと、前2者の冷たさというか敷居の高さがよくわかる。しかしそうならざるを得ない理由もまた、わかる。クリニックは夜間対応もできないしいろんな検査もできないから(しても査定されるとか。大学では査定されない検査項目・処方というものがある)、老人の腹痛程度でも紹介するしかない。いろいろしていると、昼過ぎに来た患者でも搬送するのが夕方になってしまうことが多い。
たいていは“糞詰まり“とかなんだけど、だから受け入れ依頼の電話をしても断られたり、受け入れてもらっても後日「こんなの送りやがって」が行間に取れるような返信が来るけど、こちらとしてはCTも撮らずにイレウスは否定できないし(たとえ撮ってもちゃんと読影できないが)、そんなこんなでたびたび偽物と、たまに本物なんかを夕方に送りつけるものだから、受け取って責任持って診療する大病院の医者としては、そこらのクリニックや小病院の医者は煩わしく、使えないという評価になる。もと大病院の勤務医だったからわかる。当時の自分(大病院)はそう思ってた。そしてそういう医者(小病院)になってしまった。

診療態度も、小規模医療機関は医者-患者が長い付き合いで人間関係第一だから、医学的正当性というよりも感情(優しさ・接客)優先になって、かつ扱うのは軽症の慢性疾患ばかりだからそれでいいんだけど、大病院は判断を誤ると命に関わる・生きる死ぬの世界、良かれと思ってやったことでも結果が患者の思い通りにならないと逆恨みされたり、クレーマーとか思わぬ重症にも遭遇しうるから初見の患者には警戒する。急変もありえるし、そうなると最後まで対応する必要があるので気軽に「大丈夫ですよ」なんて言えない。医学的正当性・理屈中心の説明で、やるのかやらないのか今決めろ・その旨サインしろ・やらないなら(当院でやることはないので)帰れ、とかっていうのは患者としては冷たい態度に見えるだろう。常に医学的に正当な医療行為をしていないと、その時は話し合いの上、お互いに納得してたとしても後から(場合によっては敵意のある)第三者に突っ込まれた場合に訴訟(大病院では珍しくない)で不利になるので、相手(患者と家族)の感情よりも医学的正当性と証拠(書類)優先になる。このあたりは日本的人間関係とは相容れがたいかもしれない(個人的には、慣れればドライも快適)。小規模医療機関とかかりつけ患者は他人同士とはいえない関係で、お互いにある程度の許容性があるけど、大病院はノーミスが前提なので杓子定規にならざるを得ず、また少々嫌われたとしても患者(客)が減って困る事もないので、寛容性とか感情的配慮は二の次になる。

と、現状の日本の医療システムでは、規模(役割)の違う医療機関の間にはそれぞれに事情があり、お互い仕方ないってところ。どこに所属してても、わかってる医者はわかってくれると思う。少なくとも自分は、患者にいい格好をして「そうなんですよ、大学の先生は冷たいですね〜」なんて言いつつ診れない患者を送りつけるようなことはできない。