しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

研究者は止まったら死ぬ

今どき研究してみようという若い医者は減っているのでは?と思うのは大学から遠いからか。おそらく一流大学の優秀な若い医者は自然に研究もするだろうし、三流大出で三流病院で研修している医者は、そんなことより早く専門医取って離脱しようとか思っているかもしれない。確かに現在の内科初期研修システムはあまりに煩雑で、最初の6年くらいは他のことが出来なさそう。昔は自由で良かった。3年目で大学院に入れたし、うまくすると病棟の奉公(無給)も数ヶ月で済む。ただ自分の時代・大学では、院の4年のうち1年は奉公っていうのが普通だった(途中で論文が通って卒業資格があっても卒業させてくれない)。
臨床をやりながら研究日に本当に研究して論文博士、もいいけど、それだとやっても週2くらいしか研究できないから、やるなら一時期どっぷり院で研究漬けがいい(そんなのヌルい、医者は研究するなら臨床なんて1秒もするなっていう先生はこちら→基礎研究至上主義の極み)。若いうちはそれくらいの無駄がむしろ肥やしになる(臨床やらずに研究だけだとリアルに潰しが効かない)。まだ家庭(子供)がなければ低収入でもなんとかなろう。たまたまその研究が当たれば、しばらくそのネタでやって分野で地位を確立し大学で偉くなれるかもしれないけど、そんなの"時の運"だから、多くの研究は論文化できても実用化はもちろんほとんど引用もされない。現実的には、そういう埋もれる研究・論文がほとんど。でも、だからその研究や経験が無駄とは思わない。やって結果を出さないと意義はわからないし、そういうことを自分でやってみないと、研究とはどういうものかを実感することはできないし、最先端のレベルを想像すらできない。例えるならば、エベレスト登頂は無理でもベースキャンプくらいまで行っただけでも価値はある。そうでもしないと頂上を直に見ることはできない。
ただ研究の効率だけ考えれば海外留学なんて無駄だけど、もしそんな機会があったら、是非行ったほうがいい。若いときに堂々と長期間海外で暮らせる機会なんて滅多にない(さもなければリタイアしてから途上国で余生を過ごすくらいか。先進国の生活費はおよそ日本より高いからよほどの金持ちでないと無理)。全く違った文化圏で暮らすことで、初めて日本と日本人のことを客観的に見ることができる。それは仕事と関係なく人生を深めるだろう。あと、帰国子女や留学経験もないのに英語を喋れる人が不思議で仕方ない。つまり国際学会や研究会で外人と円滑に会話している日本人医者の多くは海外留学経験がある(留学しても喋れない人もいるけど(~_~;))。論文の読み書きだけなら、海外行く必要ないけどね。
院だろうが論文博士だろうが最初のうちは右も左もわからないから、一人前になれるかどうかは指導教員次第なところがある。指導する気がない・指導が下手(パワハラ系とか能力不足)だとやる気がなくなるし、院に入ってしまったら逃げられない。こうして多くの将来有望な研究者になるはずだった医者が芽を摘まれ、臨床一辺倒ないし開業志向になってしまう。えてしてそういうダメ指導者ほど大学に居付いてる。なぜなら他所では生きられないから。そういう目に遭わないためには事前調査が重要。人間関係良好でコンスタントに論文が出ている、常に実験が動いてる研究室(指導教員)でないと、入ってはいけない。一流どころは大抵そうだけど、当然高レベルのとこほど厳しい。自分の時代は院生に休日は無い、っていう空気もあったけど(実際にそんな熱い院生はいなかったが)、今はどうだろう。明るいうちに帰るとかは、まぁ無理かな。忙しい教授が夜来てそこからディスカッションでしょう。もちろん、そういうのを希望しないならのんびり・定時なところもあるかもしれない。けど研究と論文までのスピードも、のんびりだろう。
論文が最低1つ、普通は共同研究も含めて複数あって、院を卒業する頃にはいろんな研究やら発表をさせられてるだろうから、その分野については一端の研究者っぽくなってるだろう。その後は、うまいこと大学に残れればそれを継続すればいいし、市中病院に出されても暇をみては大学に通って仕事(研究)を続けたりするけど、その場合2〜3年?以内に大学に戻してもらえないと、普通はモチベーションが下がって少なくとも基礎研究はしなくなる。普通は、いい仕事をしてれば(学会や論文でアピールすれば)教授が大学に戻してくれる。教授からすれば、優秀な部下は自分の評価を高めるし、さらに後輩の指導もしてくれるから。三流大学でよくあるのは、院は卒業したけどあんまり優秀でもなくて、でも人がいないから大学で臨床+研究指導とかしてる人。こういう人が指導すると研究が進まなくて4年経っても院生が卒業できず、人が育たない。指導してもらって研究が形になったのを、自分の実力と勘違いしちゃうんだね、一人になったらもうできない。医局のポストは、自分で発想から論文化までできない半人前ばかりになる。下手するとそれでも臨床講師みたいな肩書きは付くんだけど、口ばっかり・プライドばっかりで、教授のイエスマンだから大学に居れるというだけ。だいたい、学位持ってるとか博士って言っても院卒後1本も書けてない人の、いかに多いことか。そういうのがゴロゴロいる医局は死に体だから入ってはいけない。
自分の得意分野は重要で、あまりにメジャーな分野だと競争相手が多すぎて、一流大・研究室でないと相手にされない。そうでない場合はニッチ分野を薦める。そうすると、日本全国で専門家が数えるほどしかいなくて毎回学会で会うから顔見知りって場合が多い。マイナー分野の研究者同志は趣味のグループみたいなものでアットホームな雰囲気のことが多い(そうでもない、我が強くて俺が一番だって反目し合うってこともあるけど)。なんとなくその分野で認められてくると、学会や研究会で演者や座長に呼ばれたり、うまいこと厚労省の研究班なんかに潜り込めれば地位が確立してくる。そこまで行くには継続的に研究・発表する必要がある。論文も重要だけど、案外論文をほとんど書かず発表だけで大御所顔の人もいるからコネも重要だね。尚、一つの分野で3つ4つ論文を書いたところで、それだけじゃ誰にも相手にされないから注意。一流大の人はわりと排他的なこともあって、見ず知らずの研究者が何本論文を書いても「どこの馬の骨」と完璧に無視することが多い(仲間内の研究しか認めない)。ジャストな内容であっても、一切引用しないとか。たまにオープンな人もいて、面白い研究してますね、なんて声をかけてくれたりするけど、やはり一流研究室はカネ取ってきて結果出してっていうのがシビアなビジネスで、遊びで研究してるわけじゃねーから、知らんやつ相手にしてる暇はねーよ、うちのシマで勝手してんじゃねーぞ、ってとこか。
研究から離れて思うのは、研究者は研究を続けている間のみその存在価値を認められ、やめた途端誰も相手をしなくなるということ。余程すごい業績があれば、研究をやめた後もその評価が続くかもしれないけど、そうでもない場合(大抵そうだが)、研究活動を止めて大学のポストを離れたらただの医者で作業員としか見られず、研究会に呼ばれることも発表や論文に名前を入れてもらうこともなくなり(それら必要ないから辞めたんだが)、教授や医局の誰かが自分の過去のデータを勝手に使ってもこちらの名前も出さなかったりする。完全に無視される。それでいて、研究が続いてたりすると「あのデータある?すぐ送って」なんてメールだけ来たり。いやデータは全部置いてけ(持ち出し禁止)って言ってただろ!自分で探してくれ!
やはり大学からすると、いち医局員は論文を出し続けている間のみ利用価値があり、それをやめたら無価値になる。クズ論文でもいい、出し続けてる間は教授(医局)は一人前に扱ってくれるけど、研究しないなら薄給の外来バイトくらいしか使いようがない。ポストがないから人手不足の病棟すらやらせてもらえない(そもそも誰もやりたくないけど。歳いったおっさんが研修医に混じって病棟やってたら気持ち悪いしね)。