しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

医者の価値観は特殊

他の医者と話すと、医者としては自分がかなり仕事に興味がない方に分布していると思うことが多い。専門領域や特殊な疾患や新しい薬にも興味が薄いし、診断・治療がうまくいって感謝されて嬉しい、ともあまり感じない(色々感謝の言葉を聞くのが億劫で、問題ないなら早く帰って欲しい)。
大病院は人手不足のようで、OBの自分に「戻って働かないか」と声をかけてくれるのはありがたいけど、全然戻る気はない。給料は大して変わらず多方面(臨床+研究+教育)に仕事(労働時間)が増えるなんて真っ平だ。というか精神的に無理。
医者どっぷりじゃない分、自分は医者・医療界を客観的に見れるのではないかと思っているが、勘違いだろうか。
医者の価値観は特殊である。列挙してみる

出身大学の入試偏差値(参考:医者の学歴
旧帝大(東大>京都・名古屋・東北・北海道・大阪・九州)>国公立大>私立
どこの医者?っていうとまず出身大学から調べることが多い。ということは、医学部入学時にその医者の一生の性質の一部が確定してしまうのか。
旧帝大は縁がなさすぎてよく知らない。国公立および私大は都会>私立と考えればおよそ合ってそう。大学でなく最終学歴なんだ!と、私大出身の医者が東大大学院卒とか自称しているのは、私大出から見ても痛いのでやめたほうがいい。
誰かが言ってたけど、18歳時の学力(ペーパー試験解答能力)自慢を、おっさんになっても引きずってるのはどうかと。大学の偏差値と臨床能力(定義困難だが)が相関しないのは、医者ならわかるだろう。ただ、優秀な研究者の割合は大学の偏差値と相関するように思う。私大出で優秀な研究者は少ない。

基礎研究>臨床研究>研究しない(臨床のみ)
ともかく医者は頭が良いことにこだわりが強いので、より基礎的(抽象的)な研究者、実験する医者の方が偉くて、疫学研究は一段下に見ることが多い。研究している医者からすると、臨床だけの医者は頭を使わない肉体労働者に見える。

上記研究者における論文数・インパクトファクター(IF)
言うまでもないがIFとは論文が引用された数、すなわち論文の重要度。海外、特に欧州では時間がかかっても素晴らしい論文が書ければいいっていう風潮だけど、米国ではスピード競争だし、日本では単純に内容より数っていう雰囲気。もちろん英語論文に限った話で、日本語の論文は数に入らない。最近は優秀な翻訳ツールが出てきたのでより書きやすくなったけど、日本語で書いてからまるまる英訳させるのは悪手とされる。

所属組織の格
大学>大病院(総合病院)>その他
言うまでもなく大学(教授)が頂点で、有力大病院幹部だと"教授に匹敵"する影響力があったりすることもある。中小病院と開業医は話の外だが、40代以降に大学や総合病院に残れるのは少数の、仕事(政治力も含む)ができる医者や劣悪条件に耐えられる医者だけ*なので、その他大勢はいずれ中小病院か開業を自身の問題として考え始める。早めに医局や大病院組織から脱出してしまった医者からすると、何を今さらって感じだが。
*:仕事ができなくても大学に残っている医者がいる、と負け犬が遠吠えしておく。

専門医資格と所属学会
面倒だし実力があればいいと一切持ってない医者がいる一方、せっせと勉強してXX専門医みたいな資格をいくつも持っている医者がいる。資格を維持するには毎年学会に出席したり講演を聞いたり動画を見たりたまには問題集をやらなくてはならない。金と時間がかかる。重要度は科ごとに異なり、放射線科・麻酔科専門医や精神保健指定医資格は意義が大きいけど内科全般や、さらに細分化した専門医資格はなくても診療にあまり影響ないし保険点数も変わらない。あとは就職に有利、宣伝・信用になるとか、つまりハクが付くっていうレベル。さらには他科医がよく知らないようなマニアックな専門医資格は、その資格保持者同士が同業者と認め合うための自己満足バッジでしかない。講演する時の演者紹介が長い方が偉いっていう古い空気がある。
所属学会については、単に年会費を払っているというだけ。

労働時間が長い・たくさん患者を診る
労働は美徳である。昔の医者はいつでも病院(大学)にいることが良しとされていたので、月に何日家に帰れたか自慢(少ないほうが偉い)や、帰る時間の遅さ自慢、デフォルト休日出勤などをしていた。外来患者数自慢は、収入に直結する開業医ならわかるけど、大学の外来でがんばってももちろん給料は変わらないし、本来はせっせと一般病院やクリニックに紹介すべきだが、それを怠ったせいで大学外来が混雑を極め「3時間待ちの3分診療」と言われるようになった。

など。一般人がマウントするための価値観「年収が高い」とかはむしろ昔堅気の医者には「金に走って学問をおそろかにしている」と下に見られかねない。言うまでもなく上記のような医者独特の価値観(ヒエラルキー)は医者同士でしか通用しない特殊な物差しで、上に書いた上位組織から離れて洗脳が解けると理解できなくなる。その代わりに一般的価値観というか単に「楽して儲けてあとは好きなことをする」が目標となるので、投資や飯や旅行の話が多くなる。
これまでの日本の医療はプライドと特殊な価値観を持つワーカホリック医師たちにより支えられてきたので、今時の普通の若者の医者が増えれば市場原理が働き医局および地方の医療崩壊が生じ、ボランティア的地域医療も成り立たなくなるだろう。富裕層相手の自由診療の需要もあるし。