しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

医者の年次は相対・医局を辞めるタイミング1


芸人と同様に医者の上下関係も基本的に年功序列だけど、大学から外病院に出てわかるのはその基準が全然違うということ。自分が研修医の頃は、5〜6年目くらいのチーフレジデントは何でも知ってる偉い人で、その上の講師やら教授は気軽に話しかけてはいけない雲の上の存在だったけど、気がつくと自分はチーフレジデントより年次が上になってて*、そうすると、その5〜6年目頃はちょうど色々わかってきて自信がついて俺はできると思い込んでる年次だってことに気づく。その自信が、研修医の指導やら肉体労働にもちょうどいい。
内科は10年くらいやると、内科全般及び専門分野でようやく全体像が見えてくる。同じようなパターンをたくさん見て、また一人の患者を10年近く見て、数と時間から理解するのか。ここから先は、臨床能力がどんどん伸びるということはあまりない。というか個人差が大きくなって、その後ほとんど変わらずルーチンワークだけする人と、臨床か研究か社会活動か何らかの活動を続ける人と、その中間になる。臨床能力についてはこの辺がプラトーで、後は注意深い・疑り深い・好奇心旺盛な人は診断能力が高いし、そうでない多くの人は大差なくて、専門分野と典型例以外はまず診断できない。専門以外の患者を見なければ(大学とか)専門分野内の、他科からするとどうでもいいような些細なやり方の違いに固執するようになる。よって芸歴が10年を超えると、数年の年次の違いなんてほぼなくなる。何をしていたか、による。
およそ6〜10年目以降に大学から外へ出ると、そこはおじさん・おばさん先生ばかりで、自分が今更若手扱いされることに戸惑う。40ちょっとくらいまではまだまだ若いとか言われて、下手すると母親みたいな歳の看護師に囲まれたりする。何でもできる上級医のつもりで、医師構成が50代中心みたいな、都内名門私立とか国立大の医者ばかりの市中病院へ出向すると完全に下っ端扱いで、全ての雑用やら救急当番やら当直をやらされる。あちらからすると端から三流私大出の小僧としてしか見てないし、抗議したところで、昔からそうしているだの、俺が若い頃はもっと苦労して給料も安かったとか言われて終わりだろう。唯一まともに聞いてくれるとしたら自分とこの医局長なり教授だろうが、力関係で人を出さざるを得ない場合は、1年間の辛抱だなどと言いくるめられて終わりだろう。そこへいくと力ある医局(教授)は、うちから出向しているXX科は当直免除しろ・さもなければ撤退する、などと市中病院に圧力をかけることもできる(実際そうなった)。出向先がダメで医局も助けてくれないとなれば、専門医か学位をとったタイミング、もしくは怒りゲージが溜まった時点で医局を辞めればいい(医局としては、育ててやったのに一人前になった途端辞めやがって、と当然思うが、育てられる側は、これまで我慢してきたけどやっと逃げられるって感じだったりして、なかなかうまくいきませんね)。首都圏なら医局フリーでも全く問題ない。ただ地方だと、あらゆる病院に大学医局の息がかかってて、医局を辞めたら仕事ができなくなるという地域もあるらしい。そういう地方での医者としての生き方は、北朝鮮で快適に暮らす方法と同様に、私にはわからない。
*私も気がつけば講師レベルより年上のヒラ医員@非関連病院 になっていた。