しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

酒を飲んで鬱思考をする

考えてみると自分は年に20回くらいは学会・研究会に出てるだろうか。本当に興味深いのは2-3回か。となると残り、およそ年に30-40時間は無駄に過ごすことになる。
若い頃は知識もないし、基礎的研究ネタもしくは英語のためほとんど理解できない話をたくさん聞いたけど、そういう経験を通じて、つまらないか理解できない話を義務的に聞くというのは医者にとってよくあることという認識だけど、この先もそういう無駄な時間を過ごしてよいのだろうか。もちろん、聞いてみないと面白いかどうかわからないから、打率10割は無理なんだけど、それでも無駄が多すぎる。人生の貴重な時間を、そういう無駄な義務に浪費するのは自分の人生への冒涜であるとも言える。つまり悪行だ。それをこれからも続けるのだろうか。

食欲や性欲を満たすのは一時的な快楽で空しいものだと気づいている。かといって他に楽しみもない。というか、そこにも他にもどこにも楽しみはない。となると哲学もしくはスピリチュアルに凝って、この先どう生きてゆこうかと考えるのはごく自然なことだけど、それは人生ゲームにおける貧乏農場というか、無間地獄というか、悟らない限り抜け出せない、灰色一色の世界に見える。
が、自分は(まだ)鬱病ではない。仕事に行きたくないと心底思ったことはない。週の半分以上を占める外来もまた、単純作業か簡単なパズルのようなもので、こんなことを一生飽きずに続けてるのは、おそらく趣味に全力を尽くして楽しめるような、もしくは人助け・奉仕に喜びを感じられるような、単純な人だけだろう。尚、それ以外の仕事はほぼ雑用か、またしても一時の快楽であるちょっとの臨床研究くらいなのである。

というわけで、したい事もやる気もない若者を全く批判できない上司がここにいる。