しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

希望が多い人

風邪で来た中年女性。
「節々が痛い、特に腰が痛いので湿布もください」
わかりました
「頭痛がするので痛み止めを」
わかりました
「何が出ますか?」
AAAかBBBですね
「BBBでお願いします」
(どういう根拠でそれを希望するんだろう?面倒だから聞かないが)
「のども痛いのでのどの炎症止めもください」
BBBはのどの痛みにも効きますよ?
「それとは別に“のどの炎症止め“をください」
トランサミンのことだろうか。もしくは桔梗湯?→品薄なのでパス)
そういう薬はなくもないが、効果がはっきりしないし、効くという証拠も(あまり)ないので私は普段処方しません。そういう薬を飲まなくても自然に治ります。
「あとトローチとうがい薬」
(うーん、イラネ)

今回は必要なさそうな薬は処方せず納得してくれたけど、納得しない人には何かしら出す。それまで全力で無駄アピールしてる薬を、患者の言いなりに出すわけだから、表面上は丸く収まっても、互いの信頼関係は低下する。先方は「私見を押し付け必要な薬を出してくれない偏屈な医者」と思うだろうし、私からすると「勘違いした素人のわがまま」でしかない。

仏教的諦観の好きな自分としては、こういう人は何でもコントロールしたがるし、コントロールできると信じているように見える。ほっといても三日で治る風邪の諸症状にいくつも薬を飲むなんてプロからすると無駄だし徒労なんだけど、そういう人は「やっぱり私が指定した薬を飲んだから治った」と思い込み、そういう経験を繰り返すことでより確信を強め、そのうち誰も訂正できなくなるだろう。

なぜ素人が、ちょっと本を読んだりネットで得た(よくいって正しさ50%程度の)知識で、プロと対等に交渉しようとするのかわからない。寿司屋では、好き嫌いがあるから指定してもいいけど、それでもお任せにした方が、その日の特に良いネタを出してくれるだろう。基本的に専門家に任せ、決めろと言われたいことだけ決めればいいのではないか。自分が判断すべきは、そのように信頼して良い専門家なのか、それとも専門知識に乏しいとか金儲けを一番に考えてる人なのかどうかということだけ。そのために必要なのは少々の遠慮がちな専門知識と、それよりも一般的な“人を見る目“だろう。
#私が専門知識に乏しいと思われたなら仕方ない

2020〜2022年頃のコロナに関するエピソード

そろそろ風化しそうなネタを記録しておく。


ワクチン接種した翌日に発熱し受診、コロナ検査を強く希望
こういう人は結構いた。稀に陽性になるから必ずしも断れないけど、ワクチンと感染を分かってない人がわりといる。3年経って、ワクチン接種翌日の発熱は当たり前という認識が一般的になったみたい。

コロナの家庭内感染で最後に熱が出た父さん「PCR希望」、同様にインフルの家庭内感染で熱出たら「コロナPCR希望」
状況証拠的に検査不要でも、どうしても検査して確認したい人がいて、混雑時やキット不足時にはとても困る。それで陰性でも偽陰性としか思えないし、その場合再検するかとか面倒な問題が発生するので、検査はこちらにお任せいただきたい。

コロナ検査で陽性「けれども感染してない確率は何%ですか?」
検査の偽陽性率を知りたいんだろうが、流行っている時期に熱出て来院して検査陽性で、偽陰性について考える必要があるだろうか。

コロナと診断された帰り道、ノーマスクで商店街を歩いてた患者
が目撃された。当時からマスク嫌いの人はいた。今じゃ感染しても何食わぬ顔で街を歩いているだろう。

コロナ感染し自宅療養中に職場の介護施設から「元気なら来てコロナ病棟で働いて」
自宅療養期間に出勤を強制したらほぼアウトだろう。今はどうだろう。

コロナに罹った社員に「うちは7日で出社してよい」という会社
当時は自宅療養10日間だったんだけど、独自ルールで短縮ってどうなんだろう。ブラック臭い

コロナになったら、治って検査陰性を確認してから出社せよ
これはほんと多かった。下手するといまだにある。治っても検査は陽性に出る(特にPCR)から意味ないよって言っても、でも会社の担当者がそういうんで、っていうから検査したけどやはり陽性だった。

中古外車で来院し尊大な態度の高校教師、鼻の検査(鼻咽頭ぬぐい液)はどうしても嫌だという小学校教諭
学校の先生だから人格者という時代は終わったし(中古車をけなす意図は全くないがオラオラ系装飾が気になる)、鼻綿棒に耐えられないとか、粉薬は飲めないっていう先生がいてもおかしくないが、ちょっと面倒ではある。

コロナになりたい人
家族がコロナ陽性だけどその人だけ検査しても陰性、症状なし。症状があればみなし陽性で診断できるんですけどって言った途端に「微熱がある」と言い出し、でも38度くらいないと、と言ったら「ちょうど38度でした」と、対応力の高い人。

抗原検査で「判定不能」だったと来院
持ってきたキットを見るとばっちり線が出てて陽性なんだが、本人曰く「見方がわからないから判定不能」とのことで、あなたが“判定をすることができない人“ということだった。

コロナ感染後、自主的に長く仕事を休んだので傷病手当金の書類を書いてくれ
初日しか診てないので書けませんと言って一応納得されたが、逆恨みされそうで怖い

昨日他院でコロナと診断され届出済なのに言わない
本日当院受診→検査陽性→届出→「その方は昨日届出きてますけど?」と保健所から。
なんで昨日受診・診断されたことを隠して今日も受診したんだろう。信じられなかったのか。

「気をつけてたのにコロナになったことが納得できない」
そういう人も多い。街で暮らしている限り、コロナは気をつければなんとかなるものでもないと理解されただろうか。

共感力の高い先生

『スピリチュアルズ』橘玲 を読むと、共感力とメンタライジング(相手の心を理解する能力)というのがあって、両方高いとコミュ力が高い、共感力は高いけど相手の心がわからないのはアスペルガー、相手の心はわかるけど共感しないのはサイコパスみたいに言っている。コミュ力の高い医者はあまり困らないだろう。アスペっぽい医者はたまにいる。失言で患者とトラブルを起こしやすいとか、融通が利かずキレやすい上級医とか。
自分はどちらかというとサイコパス傾向で、患者が色々訴えても共感や同情心はあまり芽生えず、特にやることがない場合なんかは表面上まろやかな言葉で突き放すんだけど、共感力の高い医者からすると冷たい、もっと患者に寄り添えって思うようだ。そういう先生はマッサージ同意書(往診あり)はもちろん、眠剤だろうがビタミン剤だろうが他科の薬だろうが患者の求めにはなるべく応じるべきと考えるし、一部の患者には自分の携帯番号も教えちゃう。一方自分は、医者は何でもかんでも患者サービスすればいいってもんでもないと思う。自分だけの商売なら自由だけど、保険医療は個人の負担額以外の部分を国の財源に頼っているので、患者と自身(の医療機関)の利益のみならず公共的観点からも判断すべきだろう。
本にも書いてあるが、例えば外科医は患者の状況がどうであっても共感(動揺)せず冷静に仕事をしてもらいたい。共感することで公正さや道徳性、客観性が損なわれることも指摘されている。「過度に利他的なひとが、怒りや恐れ、復讐心、信仰心などでも強い感情を持っていることを示唆する。こうして、共感はときに暴力や残虐性と結びつく。」
まったく患者に共感しない医者(高純度のサイコパス)は相当に嫌だけど、医者は科学者としての側面もあるので、患者の心を理解すると同時に、それとは一定の距離を置いて科学的・客観的に判断する姿勢も必要かと。


参考:2020-07-27”良い先生”になりたくない

他覚症状とは

https://www.marunouchi-c.org/img/dock/column2/credential-21.pdf
健診の時にいつも気になる言葉。症状=「本人が感じること」と思ってたし現場ではそのように使っているけど、辞書では「病気の状態」とのことで、となると他覚症状≒所見ってことでいいんだけど、そうすると「進行がんだけど無症状」を言い換えると「がんの症状は悪いけど無症状」と矛盾が生じてしまうので、症状=本人の感覚と定義した方がいいと思う。
上記リンクによると法律用語ということで、よくわかってない人が決めてそのままになっているのか。

高くて効果に乏しい薬は不要なばかりか有害

(画像要約)高くて効果の少ない薬を使うことで得をするのは製薬会社だけで、国民医療費を圧迫し皺寄せで医師その他の収入が減るから使わない方がいい

その通りだと思う。
売上トップ20には不要そうな薬が散見される。
抗がん剤系では、免疫チェックポイント阻害剤はかなり予後を改善させるので高くても仕方ないけど、そうではなく"他に薬がないから仕方なくそれを使うけどたいして効かない"抗がん剤が多そう。
タケキャブは、ぜひ必要ってわけでもない(安いジェネリックPPIで十分orそもそも不要)けど継続処方されてる人が半分以上という印象。ネキシウムは積極的にゾロにするか、もっと安い他のPPIでいい。
抗凝固剤は必要で、心房細動の人は多い。
アジルバはタケキャブ以上に、いくらでも代わりのジェネリックARBがあるのでそんなに出す必要なし。
ムスカは効くし代替が無いから売れて当然か。SIADHの潜在需要も多そう。
リウマチ(乾癬も)系バイオも、よく効くし代替のJAK阻害薬はもっと高いから仕方ない。ジェネリック(バイオシミラー)という手もある。
サインバルタは腰痛需要が多いのか。
オフェブ(間質性肺炎薬)はグレー。代替薬はなく、肺機能の悪化を緩やかにするけど実感するほどでもなく。間質性肺炎患者のごくごく一部に使われる程度が適正かと。

以上主観だけれども、専門的医療機関にいると新薬を使うことが最新の医療である、って思いがちなのでちょっと考えましょう。

医者とカネ

m3を読んでるとよくお金に関するスレが立つ。金に汚いって程じゃないけど、お金大好きな医者は結構多くて、あとエリート志向(思考は間違いでは?)からくるマウント志向も相まって金持ち競争になると同業者として恥ずかしいというか見苦しい。流れは大体決まってて

やっと1億円貯めました
2億位あればリタイアできる
それじゃ全然足りない、都内の高級マンションは5億くらいするから10億はないと
港区千代田区なら数億円持ってるのが普通
そんなマンションはいらない
お金があれば良い家、高級車、うまい飯と酒、等々人生楽しい
そういうことで満足できる人はいいですね
俺そんなに金ないしもうすぐ70だけど働いてるよ
麻布だ番長だ港区だ千代田区だ言うのは大抵、雑誌で読んだだけの田舎もん
あなたは不動産価値というものをわかってない
働けなくなったら遊べないからそんなに金はいらない
医者になる。お金を稼ぐ。贅沢をする。人に自慢する。なんか寂しい人生ですね。

ここらで気づくべきでしょう。
医者は目的なのか、金を稼ぐための手段なのか。
X億円必要と考えると、医業は金稼ぎの手段になってしまう。もちろん、そう思いながら熱心に高度な医療を続けている医者もいて、沢山の患者が感謝して、でも本心はカネ目的だとしたら残念だ。
金儲けや贅沢の追求は本能かもしれないし、そうするのも自由だけど、医者と坊主あたりは人の死を目の当たりにして、人生の短さ・虚しさに比較的気づきやすいはずなんだが。X億円作って引退するのが人生の目的なのか?それが成功なのか?
正当な流れとはもちろん、やりたい仕事をして、もらった金の範囲で生活する。それだけ。仕事内容や質と報酬は、必ずしも相関しないのが世の常。だから悪い商売がうまくいって贅沢し放題の人生もあれば、清貧もある。究極の価値観は自分の満足で、せっかくの人生が、誰かとの競争(マウント志向)とか世間一般の価値観に従うのみなんて、つまらない。

#自分のやりたい医療をしている医者は上等。自分はというと、やりたいことを見失ったので毎日同じでつまらない仕事(目的はそこそこの時給と低拘束時間・リスク)をしているだけで、医者としては下

産業医講習会の虚しさ

産業医なら全員わかっていると思うけど、あの講習会はコロナ下でも現地出席が必須で(1)、とにかく現場に居た時間数ぶんのシールしかあげないっていう強い決意が感じらる。
で講師が熱心かというとそういうことが全然なくて、よくてメンタル問題対応の実例(2)、そうでないと法規みたいな文章のスライドを表示して延々読むだけっていうのがほとんど。ビジーなスライドで睡魔せんすいません、って言いながら一生そういうスライドというか講演スタイルを変える気はないんだろう。
面白おかしく興味深く講演するのが大変難しい内容だから仕方ないかもしれないけど、本の文章をそのまま大画面に写して読むっていうのはあまりに怠惰ではなかろうか。金もらってるんだろうし、受講者がどういう気持ちで聞いてるか、考えないんだろうか。受講者の方も大方スマホをごにょごにょしているが、当然だろう。1時間(1日最大6時間)何もするなって拷問かと。
ということで講師は決まりきった文章の朗読、受講者はただそこに居るだけという途轍もなく虚しい空間が日本各地で頻繁に発生している(3)が、医師会的にはこの体制を変える気はなさそう。

1)間隔を空ける→募集人数減→申し込み競争激化し、開始10分で満員になる
2)たまに熱心な講師がいるけど、熱心すぎて時間オーバーした瞬間に迷惑でしかなくなる
3)人生であと何時間これに参加するのか。計算は簡単で、45→65歳の20年間とすれば3回更新で60時間拘束されることになる。