しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

先生と話してたら元気が出てきました

元気をもらいましたとか、話しているうちに気分が良くなりましたも同様。

隣のブースからよく聞こえてくるのは、なんか患者と食事やら運動やら(1分程度の体操でもやらないよりはマシ程度の些細なこと)愚痴やらあまり意味のない話の後、帰り際に患者が表題のセリフを言って喜んで帰るというもの。自分はあまり感謝されないので、ひがんでいると思われるかもしれないが、リップサービスが嫌いなので、そういう患者に好かれるのも嫌なんだ。
多くの場合、患者は根拠のない不安を持っており、それが医者との会話で解消されたように感じて一時的に気分が回復するというだけのこと。生活習慣病に対し生活を変えるほどの意気もない(高齢者はどだい無理だが)から、この議論で健康的になったわけでもない。毎度同じような会話の繰り返し。おそらく(やることないからずっと見てた)テレビで不安を煽られたが、医学的知識以前に常識や自信にも乏しく、ネットで正しく調べることもできないので医者に相談し、その不安は感じる必要ないと教えてもらってそれが消失したに過ぎない。どうせ近いうちに、また新たなネタを仕込んで、慰めて~とやってくる。
高齢になると体も心も知能も弱って不安になるのは普通かもしれない。でもそれを医者との会話でしか解消できないのは、生き方の問題であって内科的問題ではない。こちらもカウンセリングもどきのために通院させて(薬は土産みたいなもの)再診料を貰う、という商売をしているわけだけど、どうもこれは潔くない。内科医本来の仕事でない気がする。
もちろんわかっている、老人にどんな薬出そうが症状や予後なんて大して変わらないんだから、せめて気分良くして帰してやろう、俺ら医者にできることなんてその程度、と思うけど、そうやってダメ人間を甘やかし、ご機嫌取りで良好(というか”なあなあ”)な人間関係を維持してどうでもいい薬を継続するというのは、本来あるべき「内科医と患者」の関係ではないし(精神科医ならアリかもしれない)、それ以前に人間対人間としての関係で、患者にあんたそれは違うんじゃないか、そんな事でどうする、しっかり相談して決めた内服・運動・食事を実行するか(これは必ずしも厳密に言う通りにしろではなく妥協点を探す)、それが絶対にできないなら話しても無駄だから、苦しくて死んでもいい覚悟して死ぬときまで病院など受診するな、とでも言えばいいが、そんな厳しい外来についてくる患者は少数、どころかクレームの山だろう。

患者が求めているのは第一印象の「感じの良さ」、これがほとんどで、医療内容など比較的どうでもいい。どうせわからないし。怠惰な患者はとりあえずグチを聞いてもらいたい、できれば何かしたことを褒めてほしい、自分は好きなようにするが、それで問題となるような検査異常や症状は薬で何とかしてほしい、そんなようなこと。自分の親からしてこんな感じなので、身内といえども救いがたい。救うというのは横柄だった、そもそも正しい医学的知識とか助言など、求められてないんだし、したところで大して効果ないんだから。

医療といえど仕事なので、相手が求めたものを与えるというのが第一、その次に、専門知識に応じた医学的提案があるべきかもしれない。100%自費ならもっとクリアな交渉になるが、国民皆保険のもとだと話は複雑になる。それが面倒なので、ほとんどの医者は常識的にというか杓子定規にというか脊髄反射的に、データを基準値内にする薬を出す。医者はあまり予後やら、通院と経済的負担(本人と社会)なんて考えない。考えるなら、80代後半以降にスタチン出したり健診なんかしないだろう。開業医はおためごかしというゲームがあっていいなぁ、勤務医は診断治療というゲームに飽きたら、もうやることがない。

感謝や褒めるつもりで表題のセリフを言う患者には、複雑な表情を返そう。