しがない内科医の雑念

底辺医がなんか語っとる

基礎研究至上主義の極み

数年前、国立大学なのに相当に過激なアジテーションだなーと思ったら、ほぼそのままで、まだあった。中山敬一という基礎系の教授。
http://www.bioreg.kyushu-u.ac.jp/saibou/qanda.html#p0

【要旨】
矛盾を世に問い、悪弊を正そうとする人はごく僅かしかいません(それが自分である)
これは私の個人的な意見
医学部学生は医療者というというルーチンワーカーでなく、世界一流の科学者(医学者)すなわちクリエーターを目指せ
優秀な医学者とは、いかに多くの高IF論文のファーストオーサーであり続けるか
そのためには、臨床なんて少しもやってはいけない。初期研修もダメ。医学部を卒業し国試に受かったら、研修医にはならずにいきなり基礎研究を始めるべき
『研修医は雑用係であり、そのために2~3年の貴重な時間を潰すことは、全く愚かなこと』
『(研修医をやってしまうと)甘やかされて闘争心を失ってしまい、二度と帰ってこない。』
一流のラボに行け

(ここから先は以前書いてあったが消えている内容をそのままコピペする)
土日や深夜にどれだけ研究者が実験しているか、もいい指標となります。土日・深夜に電気が消えているラボにいいラボはありません。

科学は競争

科学者には家庭を大切にするタイプと家庭を顧みないタイプがいます。私の知り合いでも、家庭を大切にするタイプの研究者がかなりいます。そのうち8割は科学者として競争的な仕事をするのに不適格です。

私は「研究生活で勝つことが幸せな人生だ」と確信せざるを得ません。家庭を研究より上位に位置づける人は、仕事での評価は低くなり、社会的な地位も低いままで、人間としてのプライドがどんどん矮小化してきて、脹らみのない男(女性の方、ごめんなさい)になってしまうと思うからです。古い考えかも知れませんが、男は仕事が出来てナンボだと思いますし、そういう男でないと女性にもモテませんし、そういう男に惚れる女性でなければ人生を共有するに値する相手ではないです(笑)。

ある一定時期、家庭を顧みずに働くことも必要でしょう。逆説的ですが、「家庭を顧み
ないこと」が結局は将来的に「家庭の幸せ」につながると私は思います。

「Cell・Nature・Science以外は論文ではない」と若い人を鼓舞しています。

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土日深夜に働けというあたりなど、働き方改革の真反対でちょっと言いづらくなった様子。

自分も数年前は「なんじゃこいつは」と思ったけど、(おそらく)ずっとこのテンションを続けているこの人は、根っからそういう人なんだなーと思う。今では自分は完全に対極にいる。が、それは自分が諦めているからとか(自分も一応基礎研究してたし論文も書いてるんですよ。芽は出なかったが、才能の無さを実感できた)、完全に負けているとか、そういう話ではない。同じ土俵に立ってない。テニスをする人がみなグランドスラムを目指しているわけではない(全ての高校球児は甲子園を目指しているだろうが)。
この人の価値観が上記のように固定されている、ということ。それだけ。ワーカホリックとも言えるが、ただ趣味≒仕事≒人生なんだから当然とも言える。イチローはひたすら練習してたでしょう(たぶん)、どうしたらあなたみたいになれますか?と聞けばおそらく、自分くらい才能を持ってて、あとはひたすら練習するしかない、と答えるだろう。この教授も同じ、世界で一流の研究者になりたければ、ひたすら研究し続けるしかない、そう言ってるだけ。純粋に、家庭とかカネよりも医学研究が至上の価値でありそれが幸福である、とするならば、とにかくそれだけを効率的にやることで安定した職(=カネ)も、教授という高い社会的地位も手に入るのだから、これしかない!と若い人に勧めるだろう。そりゃ確かに臨床なんかやっちゃダメだ、そっちの面白さや人に役に立つ・感謝される感じやカネに魅力を感じてしまう。そういうのを知らない若い人こそ、原理主義的研究者に洗脳できるのです。
が、この「男は仕事だけして一流であればよい、カネや女など自然とついてくる」という価値観についてくる若者は年々減ってると思われる。こういった、昭和を中心にバブル期までに廃退した価値観は、いくら地方でも、生まれたときからネットがある世代からすると、やっぱり古い。研究は土日深夜当たり前というのも、「ゲームは1日20時間」のネトゲ廃人と違いがわからない。
そもそもこういった一点集中的生き方は特殊であり(普通の人はバランス型人生)、やっても成功するのは一部であるから、誇って勧められるものではない。宝くじ当選者の成功法則みたいなもんで。

研究だけするなら医者である必要ない、医学部の6年に意味がないかというと、医学部を出ることで『人間という生物に対して「個体レベルでの理解」が感覚的に芽生え』るから意味があるとしている。「個体レベルの理解」というのはよくわからないが、おそらく、医学部で解剖・生理・病態を学ぶことにより、人間という生物を包括的・全体的に理解する手助けになると言いたいのではないか。これについては同意する。

医師の価値観が一般的でないことはご存じと思う。他職種の人と話すと、研究して論文書いてもカネにならないでしょ、何でそんな儲からない事ばっかりしてんの?って感じで、これが医者のアカデミズム至上主義なんだ(俗人にはわからんだろうが)って説明しても空しいだけで。研究とか人助けに価値観を見出し献身的というかむしろ自己犠牲の精神で努力する医者は確かに尊敬されるかもしれないが、ああはなりたくないとも思われてるだろう。(好きでやってるなら自己犠牲でもないが)